シリコンカフェ@森川眞行のブログです。

森川眞行ブログ

ホームページの時代から

昨日、日本ウェブ協会のサイトをリニュアルした。迂闊にもトップページのリストを見ていて「しみじみ」してしまった。本気で「日本語のウェブの質を向上させよう」という言葉を伝え続けて来た結果だと思ったからだ。でも、まだしみじみするのは早い。これからがスタートなのだから。

…と、5分ほどページを眺めてから、知人の神田敏晶氏のブログを見た。「ネット個人民主主義の時代」というエントリがあがっていた。副題にもあるように「ホームページ時代をふりかえって」…ということで、1995年当時からのコトが幾つか書かれている。1995年は阪神大震災の年。僕はその年に、震度7の芦屋市で被災した。当時僕は「関西DTP協会」の会長だった。そして神田さんは副会長。そのふたりが揃って被災したのである。DTP協会は非営利団体として被災者に対して出来ることをボランティアで行おうという決議が決まった。だが、その団体の会長自身が被災者なのである。これから食っていけるかどうかも解らない状態に陥っていて、ボランティアどころではなかった。というより助けて欲しいのはこっちなのだ。…という理由で僕は震災を契機にDTP協会の会長を辞任した。

考えてみれば、その震災が契機で僕はDTPを生業にすることを止めたのだった。震災後、僕はひとつの企画を考えた。誰もが復興を考えていたときだった。僕は自宅から倒壊した阪神高速道路を見ながら思った。被災地が復興するには時間がかかる。まずはライフラインとして倒壊した道路を修復する。そうメディアは告げていた。僕は阪神高速道路を復旧させると同時に、一緒に光ファイバーをひいてくれないかなあ…と。そんなことを考えていた。ちょうどアメリカではクリントン政権のもと、ゴア副大統領の「情報スーパーハイウェイ構想」が大きく取り上げられていたからかもしれない。

僕は被災したデジタルクリエイターの復興支援として、機材を共同で利用出来る施設を作る事を考え、仲間で企画書を書き通産省に提案した。提案から半年のスピード認可で、その年の10月にはデジタル機材を導入した共同利用施設が立ち上がった。同じ復興でもDTPという既存の産業に対して支援をもらうのではなく、新しく立ち上がるであろうジャンルの仕事を作り出すために、インターネット、コンピュータグラフィックス、デジタルビデオ編集に関わる機材が導入された。

まさに、僕自身が生業をDTPからウェブに移行した証でもあった。1995年の夏にネイソン・ブライアンにHTMLの書き方を教えてもらい、9月には始めてHTMLを仕事にして、ある企業のホームページを作って納品した。10月には自分のホームページを作り、シリコンカフェを開始した。その当時の日記は今でも残っている。

神田さんのブログを読んでいて、あの頃の事を鮮明に思い出した。僕は翌年の1996年の春にシリコンカフェというドメインを取得し、3000点のホームページ用の無料素材(現在は5万点)を提供するG-TOOLというサービスを開始した。

当時僕は、机の上に置かれていたMacintoshをサーバーにしていた。いち地方都市のデザイナーの個人サイトなので、1日の訪問者は10人にも満たない(さらに今よりもずっとインターネット人口が少なかった時代)。当然、日常の仕事も、サーバーにしていたマシンで、のんびりHTMLを書いたり、画像を編集していた。

しかし、サービス開始から1日経過すると、マシンが悲鳴を上げた。それまで1日に10人も訪問しなかった僕のコンピュータに、1時間で100人以上の利用者がアクセスしはじめたのだ。最初は何が起こったのか解らなかった。カリカリカリカリ…!! ハードディスクが物凄い音を立てて唸り声を上げ始めたのだ。もちろん、仕事なんてできるわけがない。Photoshopもテキストエディタも操作不能になってしまい、僕は途方に暮れた。

しかし、これがウェブの可能性なんだということを実感した瞬間だった。そして、それ以降、僕はG-TOOLをきっかけに多くの人と出会う事になる。

10月に、京都のTシャツ屋さんを経営している岸本さんから、電子メールがやってきた。「はじめまして…(中略)…どうして、あなたは自分の商品である画像を無料で提供しているのですか。モノを売っている僕には理解出来ません…」と。

同じくデジタルメディア研究所からメールが来た。「宣伝会議の特集で記事を編集している橘川と申します。今回「インターネットキーパーソン100人」という特集をします。ぜひメールでインタビューに応じてください…」と。そうなのだ。これが大学時代からミニコミを作って、送り続けていたロッキングオンの橘川さんとの再会だったのである。もちろん、彼は僕が、その当時のミニコミ作りの兄ちゃんとは思わずG-TOOLを見て連絡してきたのである。

インターネットは…ひとと出会う道具だと思い知った。そして何よりも重要なのは「行動を起こすこと」だと思う。震災で自宅が半壊し、仕事の道具は壊滅しても、行動さえ起こせば、1年後には多くの人と出会う事ができ、新しい仕事を開始できた。まさに今回の日本ウェブ協会もそれだ。行動を起こし、多くの人に出会う。ひとりひとりに「やりたいこと」を伝える。その感触が神田さんのブログを読んでいて、昔を思い出しシンクロしてしまった。

過去を振り返ることで、オッサンになった自分を自覚する。気が付けば10年以上の時間が流れている。振り返れば後ろに多くの若者がいる。僕らの時代、ウェブで何をするにも手探りだった。でも、オッサンはオッサンでその手探りの中から、今の若い連中に伝えるべき何かがあると思っている。それをやっていくのがオッサンの仕事なのである。

ウェブ協会の設立に向けて、僕はそういった多くの人々に相談に行った。この業界の先駆者というか、手探りで歩み続けてきた人たちだ。高木敏光、神田敏晶、橘川幸夫、岩城達夫…。そんな中で日本のウェブデザインを作ってきた巨匠、イメージソースの伊藤幸治(敬意を込めて全て敬称略)に設立時に相談に乗ってもらった。話の中で、彼が中心になって運営してきた伝説のメーリングリスト「WDML」の話が出て来た。当時僕は、大阪で「日刊デジクリ」の編集長を辞めた頃で、ずっとROMしていた伝説のML。あの時代も、多くのデザイナーが自分たちのシゴトを通じて、情報を共有するために熱い議論が交わされていた。

伊藤さんと、ウェブ協会の懇親会の席で「これから、若くて、元気で、ぶっ飛んだデザインをするクリエイターが登場して欲しい。僕はそれを見たい」と語っておられた。その目はずっとずっと未来を見ているようだった。ホームページの時代から10年、手探りでしんどかった事も多かったけど、僕たちは、常にワクワクして仕事に向かい合って来た。これからの10年もそういった気持ちで、この業界があり続けるために、オッサンはオッサンの仕事をしなくてはならない。と改めて僕はそう思った。
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